全国文化的景観地区連絡協議会高島大会に参加しました
2009年07月10日
権座の会スタッフ at 14:37 | Comments(0) | できごと
7月9日から始まった全国大会に白王町集落営農組合のメンバー6人が参加しました。会長の東房男さんが「権座・水郷を守り育てる会会長」としてこれまでの取り組みの事例発表をパネラーとして発表されました。
今回の大会は県内で近江八幡市の次に重要文化的景観地区の選定がある高島市で開催されたもので、地元の「海津・西浜・知内まちづくり協議会」の発表もされました。
4時30分からの事例発表で、東会長の熱のこもった発表は、予定持ち時間の30分を大幅に越えて1時間近い発表でありましたが、参加者(約100名場内満員)は最後まで注目され、権座の会の活動や白王町の取り組に関心を寄せられました。
事前に「權座」のパンフレットと「ガイドマップ」と町内ニュース權座関連を配っており、「この取り組み事例は日本一!}とまでコデネーターの浜崎滋賀県立大教授からのコメントを引き出すことができました。
会長の最後のことばに「決して目立とうとか集客を得ようとか特別なことをしているんじゃない、あたりまえのことを通常のペースで一歩ずつ進んでいくことが景観を守っていくことなんです」のコメントが会場内に浸透しました。
参加者は全国から行政やまちづくり団体や学識者などで占めており、発表後の意見交流会でも、「次の講演は是非うちで」「実践事例のお手本です」など東会長は引っ張りだこでした。
これから景観地区の選定を目指す新潟県の佐渡地区(金銀山地区)などは、真剣なまなざしで權座の取り組みを聞いておられました。交流会途中の会場コメントでも西川進同副会長が、いろいろな取り組みのエピソードも交えながら発表しました。
この写真は昭和36年のもので大中の湖干拓工事のために西の湖が調整池として長命寺川の拡幅工事中のものです。
白王町の生業は半農半漁であった頃、村の前にある7つの島状の田んぼが、水田として唯一の生産活動の場であったことがうかがわれます。その後干拓終了後、權座以外の6つの土地(堂葭、長葭、大葭、山田、津田、郡座)が陸続きになったのである。
左の写真は大中の湖干拓開始から土地改良が施工される昭和59年まで約30年間続けられた農地の状況であります。
今回の発表に中でも、一番に注目された部分ではないでようか。
近代化という考えのもとに、一部の効率だけを優先した社会構造のなかにあって、多くの自然や景観が壊されてきたのは事実である。その時代の生き方のしくみといえば、それだけだが、反対に、それなら今出来ることは?といえば、その反省の上に立って、今出来ることを、がむしゃらじゃなく、あたりまえにマイペースで着実に行うことではないでしょうか。
權座・水郷を守り育てる会は、そんな志を持った仲間の皆さんの参加を心から願っています。 文責:大西
今回の大会は県内で近江八幡市の次に重要文化的景観地区の選定がある高島市で開催されたもので、地元の「海津・西浜・知内まちづくり協議会」の発表もされました。
4時30分からの事例発表で、東会長の熱のこもった発表は、予定持ち時間の30分を大幅に越えて1時間近い発表でありましたが、参加者(約100名場内満員)は最後まで注目され、権座の会の活動や白王町の取り組に関心を寄せられました。
事前に「權座」のパンフレットと「ガイドマップ」と町内ニュース權座関連を配っており、「この取り組み事例は日本一!}とまでコデネーターの浜崎滋賀県立大教授からのコメントを引き出すことができました。
会長の最後のことばに「決して目立とうとか集客を得ようとか特別なことをしているんじゃない、あたりまえのことを通常のペースで一歩ずつ進んでいくことが景観を守っていくことなんです」のコメントが会場内に浸透しました。
参加者は全国から行政やまちづくり団体や学識者などで占めており、発表後の意見交流会でも、「次の講演は是非うちで」「実践事例のお手本です」など東会長は引っ張りだこでした。
これから景観地区の選定を目指す新潟県の佐渡地区(金銀山地区)などは、真剣なまなざしで權座の取り組みを聞いておられました。交流会途中の会場コメントでも西川進同副会長が、いろいろな取り組みのエピソードも交えながら発表しました。
この写真は昭和36年のもので大中の湖干拓工事のために西の湖が調整池として長命寺川の拡幅工事中のものです。
白王町の生業は半農半漁であった頃、村の前にある7つの島状の田んぼが、水田として唯一の生産活動の場であったことがうかがわれます。その後干拓終了後、權座以外の6つの土地(堂葭、長葭、大葭、山田、津田、郡座)が陸続きになったのである。
左の写真は大中の湖干拓開始から土地改良が施工される昭和59年まで約30年間続けられた農地の状況であります。
今回の発表に中でも、一番に注目された部分ではないでようか。
近代化という考えのもとに、一部の効率だけを優先した社会構造のなかにあって、多くの自然や景観が壊されてきたのは事実である。その時代の生き方のしくみといえば、それだけだが、反対に、それなら今出来ることは?といえば、その反省の上に立って、今出来ることを、がむしゃらじゃなく、あたりまえにマイペースで着実に行うことではないでしょうか。
權座・水郷を守り育てる会は、そんな志を持った仲間の皆さんの参加を心から願っています。 文責:大西